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私の父は霊能者 瀬川モトの12番目の子としてこの世に生を受けました。父は軍人として樺太に渡りそこで豊原で旅館の女将をしていた母フミオと出会い、その地で私は産まれました。
終戦後、両親は凄まじい苦労をしつつ樺太を引き上げ、祖父母のまつ札幌の自宅に同居をすることになりました。本来、父はモトの後継者となるべき人でした。しかし、全く別の困難な道を歩みます。若い頃は非常に体が弱く16〜17歳の頃、30日間毎朝、神社へ修行に通ったとの事です。一切神社の名はあかしませんでしたが、そこの守護神に救われたとのことです。82歳で命を落とす時すら一言も過去を話さない人でした。
父を救った神が意味がどこの神社なのかずっとずっと謎でしたが、ようやく心にうかび、教えてくれました。三吉神社に修行に行ったのだと解りました。私が60歳になり、神のお告げで知らされました。父の守護神は三吉神社の御神体であり、心の中にどんと神々が不動のかたちでしっかりと根付いていたと思います。
この父は一生家に神棚をおかず、神棚、仏壇に手を合わす姿も見ることもなく、私の若い頃は真無神論の人と思いましたが、今はよくわかります。それは父はかたちのある物を信じることを超越していた人でした。
全く無欲で余計なことは一言も話さないお坊さんのような(現世の欲に無縁の)人でした。
母は苦労をしつつも必死に働き、現実に立ち向かっていたと思います。 樺太から引き上げてきた後、私が5歳、妹が4歳の時に祖母が亡くなり、祖母のお祀りしていた神仏はすべてお返しをし、弘法大師、不動明王、観音様、この三体だけわが家に残りお守りすることになりました。
祖母は神仏混合の信仰を持ち山岳信仰の行者でもありました。大変な霊能力のある人でしたが、後を継ぐ人もいないまま、山の神、不動明王、弘法大師様、そして、観音様が人を救うために動き出すのに20年近い年月がかかりました。
私、観(かん)と妹の神(じん)が受け継ぐことなどは夢にも思いませんでした。
父の霊力を見せつけられたのは父が45歳の頃でした。樺太から引き上げ、祖父母の小金でお金を貸していた時がありました。無欲な父がお金を貸すのですからそれは見事にだまされ借用書のみが残るだけでした。運送業を経営していた方がボロなトラックを父に預け夜逃げをしました。残されたトラック一台で慣れぬ運送業をはじめた一年後、赤平の橋のたもとからトラックごと転落して大怪我をしました。赤平病院に入院し、三日後にいきなり気合いがかかり患部をなでさすり、一週間で札幌に帰ってきました。
やはり、祖母モトの時と同じく、起き上がり骨折した部分の患部に手当をし30分位もみさすり、その後は汗びっしょりになりぐっすり眠ったとのことです。母は樺太から引き上げた後、祖母の神ずとめを助け、日常の家事をしていましたので、父の姿を見てもあまり驚かず、「ああ、不動さまが来ている。亡くなったおばあちゃんが守ってくれる。」と心から手を合わせたとのことです。
4人の子を食べさせていかなければならない終戦後引き上げ者の父母にとってこの救いの手はどれだけありがたかったことかと今ならよくわかる歳になりました。